息もきぬ、


会議の場ではあるが、世界各国の人々大勢と一度に集まるのは久しぶりのことだった。
会議では真面目に意見を交換しているが、休憩時には久しぶりに会った面々に挨拶する者、いつもの面子と騒いでいる者などがやはり多い。
日本も例に漏れずそうだった。
あの戦争があった後なので、ドイツ、イタリアと顔を合わせると自然と周りにしんみりしたような、懐かしいような、少しくすぐったい空気が滲み出てしまうのだが、日本にはそれが少し心地良い様な感じだった。昔の気心の知れた戦友達との会話はいつだって心を和ませてくれる。
中国、韓国とは若干ぎこちなさが消えないが、会話の端々に昔を思い出すことがある。
しかし昔と決定的に違うのは今の日本の傍にはアメリカがいることだ。
中国は何も言わないが時折厳しい目でこちらを見ている視線を感じる。
いや、中国だけではなくそういった視線は多方向から感じているが。
(・・・もう慣れてしまいましたね)
自嘲を含んだ思考が日本の心を占める。これも慣れた感覚になってしまっている。
日本は表情を変えることなく所定の席に戻っていった。
もう会議が再開される時間だ。


今後の課題の浮き彫りと多少の解決策。
有意義だったようなそうでないようなという感想を持たせて会議は閉幕した。
今はどの国も多忙である。日本が少しアメリカに捕まって話をしている間に粗方の国は帰ってしまっていた。しかも、日本を足止めしていたアメリカも今日はイギリスやフランスと一緒に食事をするといって、話すだけ話してさっさと帰ってしまった。
(会議はあと2日もあるんだから話をするのは明日でも良かったでしょうに)
日本はまだ時差ぼけが抜けきっていないのか、ぼうっとした頭でそう思った。
無性に喉が渇いたので自動販売機でお茶を買って帰ることにした。
もう何度も異国には足を伸ばしているのに空気が合わないのか。ホテルの自室に戻れば高級の茶葉で緑茶を飲めるが、今は冷たいものを飲んで頭をすっきりさせたかった。
自動販売機は出口とは反対側の、通路の先にある小さな休憩スペースにちょこんと置いてある。
日本が詰めていた息をふっと吐いた。

瞬間、日本はぐらりと眩暈に襲われた。

「・・・っ」
地震大国日本としては珍しくないことである。今のは震度三ぐらいだろうか。
こうした眩暈はしょっちゅうなので特に騒ぎ立てる必要はないが、ふっと気を抜いたあとだったので足から力が抜けてしまった。
もう誰も見ていないと解っていつつもこんな所で急に転ぶなんて恥ずかしいと内心思っていた日本に訪れたのは床の感触ではなかった。
誰かに支えられている。
そう認識したが速いが、日本の顔はさっきの思考を思い出し真っ赤になっていた。
「すすすすすいませ・・・」
誰かに己の失態を見られていたという羞恥から語尾は聞こえないほど小さな声になってしまった。そこでようやく日本は誰に支えられているかに気づいた。
「・・・エジプト、さん」
「大丈夫かい?」
エジプトの落ち着いた茶色の目の中には顔を真っ赤にしながらも突然現れた人物に目を丸くした日本が映っていた。

エジプトは赤みの引いた日本の顔色が悪いことを指摘すると、日本が何かを言う前にソファに寝かせ、ネクタイを緩めて首元を楽にさせ、自動販売機の隣にあった水飲み場でハンカチを濡らして日本の目の上に被せた。
あまりの手際の良さに日本は遠慮する隙もなく、ここは最年長者に従おうと心の中で呟いた。
「気持ち良い・・・」
日ごろの疲れも相俟って、エジプトが被せてくれたハンカチはとても心地良かった。冷たさが疲労を吸い取るような錯覚さえ覚える。
大人しくソファで横になる日本の頭の近くに座ってエジプトは日本の髪を飽きもせずに梳いていた。
エジプトの落ち着いた雰囲気はアメリカと違って日本の心を穏やかにしていくようだった。会話はなくとも好ましい静寂が辺りを包む。

十分ほど経ったところで日本はエジプトに声を掛けられた。
「日本、起きられるかい?」
日本がハンカチを取ってゆっくりと身を起こすといつの間に髪を梳くのを止めていたのか、エジプトがこちらに緑茶の缶を差し出しながら立っている。これは飲めということだろう。
「・・・有難うございます」
独特の風味が喉を通っていく。不快感は疾うに無くなっていた。
ハンカチは洗濯して返すというとエジプトは笑ってハンカチを持っていってしまった。何から何までお世話になってしまったと日本が思っていると、日本のソファと垂直の位置に置かれていたソファの背凭れに寄りかかっていたエジプトが話しかけてきた。
「日本は人気者だね」
今日の会議の話である、と日本は直ぐに気が付いた。休憩中に日本は来席していた国々ほとんどと一言二言交わしていた。もちろんエジプトとも挨拶と少しの世間話をしている。
「いえ、私のような国は皆様に助けて頂かないとやっていけませんので」
少し照れたように俯き加減で話す日本にエジプトが歩み寄ってくる。
会議の場の為スーツを着ているエジプトの、革靴の音が周囲に響く。
「アメリカが好きかい?」
唐突な質問に日本が顔を上げると目の前にエジプトの顔があった。
ソファに座っている日本には元より逃げ場がなかったが、日本自身逃げようという気持ちは起きなかった。恐怖で動けない、という訳でもないのに。
「中国やドイツは?」
不思議と心地良さを与える響きの声は変わらないのに、エジプトの目は何故か金色に輝いているよう見える。
日本の顔の両脇に手をついて猶も距離を詰めつつエジプトは続ける。
「私はね、日本。君を愛しているよ」
日本の頬を、大事なものを救うように両手で掬いながらエジプトは金色の瞳を微笑ませる。

「何十年経っても、何世紀が過ぎても、皆が消えても」

互いの瞳は外されることはなく、唇が重なる。

「菊、君を愛す」


日本は何の動作も出来ずにいた。なぜ名前を知っているのか、だとかお茶を有難うございますだとか、色んなことがごちゃごちゃと浮かんでは消える。
消えないのは、エジプトが日本に刻み付けるように言った台詞だけ。

気が付くと日本は出口でタクシーに乗ろうとしていた。そこではっと気付き、エジプトを見上げると彼はタクシーの傍らに立ち日本に向かって微笑んでいた。
あの時金色に見えた目は茶色に戻っている。
「また明日」
「・・・お休みなさい」
何とか挨拶だけは返した日本だったが、彼の顔が今更になって真っ赤に染まっていたのはエジプトにもはっきり解っただろう。
ホテルの自室で手ずから日本茶を淹れながら、一度は収まった顔の熱が再び上昇してくるのを日本は感じていた。
(どうしよう)
エジプトの言葉が嫌ではなかったことや、この年になって生娘のように恋わずらいをしている気分になっている気がするようなことや、色々なことに対する感想だったのだが。


取り敢えず、会議はあと2日も残っている。
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グプタさんは計算して虎視眈々と狙ってるよね!(←
こう・・・ねっとりとした雰囲気がいいよ埃日





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