ヨンスは義兄の菊を最近見ていないとつくづく思っていた。
自他共に自身をオタクだという菊は引き篭もり癖がある。
一時期酷いときがあって、同じ家に居ても菊に全く会わない日などざらにあった。
もう一人の義兄である耀なんかはもう諦めていて、健気にも毎回食事だけは作って部屋の前に置いていた。
少し前に菊がこの時のことで耀に謝っていたのをヨンスは聞いている。
そんな情けない己の兄を見てヨンスは、本当は自分の方が兄なんではないだろうかと思うようになっていた。
菊はヨンスと比べると非常に小さい。背も低いし、全体的に小さくまとまっている。
そのこともあってこの間菊に対して自分の方が兄だ、と主張したところそうですか、と返ってきたので、これで自分が兄であるということは確立された。
(全く手の掛かる弟、なんだぜ!)
彼の「弟」の家が見えてきたところでヨンスのテンションは一気に上がる。
顔に笑みを浮かべて駆け足で走り出した。
「きーくー!来てやったんだぜー!」
菊が出てこないことは予想済みで、我が家のように家を闊歩する。
「菊―?」
呼びながら扉を一つずつ開けていく。
途中の台所で日本茶を淹れ、出ていたお茶菓子を拝借した。
これと同じものが自分の家にもあったと思いながら菊を探していく。
風呂場を探そうと思って、ヨンスは良いことを閃いた。
(急に入って行って驚かせてやるんだぜ!)
自身の考えににやにやしながらヨンスは息を潜めて風呂場に近づいていった。
「・・・っ菊!!」
がらっと勢い良く風呂場のドアを開けたヨンスの目には菊の姿は映らなかった。
菊の家には温泉が湧いているので湯気で曇って見えにくいが人影は無い。
(全く・・・どこに隠れたんだぜ)
なかなか姿を見せない菊にうずうずしながら、しかし服を脱いでしまっていたので折角だから一風呂頂戴しようと、ヨンスはいそいそと湯船に浸かっていった。
「菊ー?」
さっぱりとした顔でヨンスは菊探しの続きを始めた。
ここに来るまでの興奮も先程の風呂で幾分冷め、これだけ人の家で好き勝手していても何も言って来ない菊に疑問を感じていた。
ヨンスは前に菊の家に来たときにここはプライベート・ルームだから入るなと言われた菊の自室をそおっと開けた。
「・・・?菊?」
部屋には誰も居なかった。
だが、パソコンの電源はつけっぱなしで画面には打ち途中の文章が放置されている。
その傍らには湯飲みが置いてあり、中には冷めた緑茶が入っていた。
椅子は中途半端に引かれていて、立ち上がった後、というようだ。
「っ!」
ヨンスは急に恐ろしくなった。
そして否定しつつも心のどこかで直感していた。
「菊!」
もう一度家の中を忙しなく探しながらヨンスは半ば叫んでいた。
後にした菊の部屋のパソコンに残った打ち掛けの文章の末尾にあるカーソルが次の文字を待つように点滅していた。
耀は彼の義弟がこんなに必死になって電話をしてきたことに驚いた。
少し気が動転している彼を落ち着かせて話を聞くと、どうやら耀のもう一人の義弟にあたる菊が居なくなったらしい。
不登校気味だった菊は外には居なかったものの、居ないと思って探せば絶対に家の中にいた。耀もヨンスもその事を良く知っている。だからこそその事実は本当だろうと耀は思った。
菊が居なくなった。
その事は、彼の学友にも直ぐに知れ渡った。
耀としては自分たち兄弟だけで探し出したかったが、背に腹は変えられない。人では多い方がいい。何しろこんな事態は初めてなのだ。
警察にも届けを出したが、誘拐などの声明は無い。
靴は家にあった。荒らされた形跡も無い。だが、一人で居なくなる理由も無い。
菊が、定期的に気持ちが酷く落ち込むことはあったし、今回もそのようなことで家から出て来ないのだと思っていたのに。
(我の、可愛い弟。どうか無事で・・・)
祈るしか出来ない自身が、酷く腹立たしかった。
一度だけ、菊らしき人物を見かけた気がする、という何とも曖昧なことを聞いた。
だが、彼の学友としてどんな情報にでも縋りたかったサディクは、その国出身で菊の共通の知り合いである人物に電話をした。
『・・・なんだ、サディク』
電話越しに意外そうな声が聞こえる。当たり前だ。こんなことにならなければめったに電話を掛けるような相手ではない。
「お前さん、そっちで菊を見なかったかぃ?」
『菊を?』
これも当然の答えだ。サディクにも俄かに信じがたい。
菊が、エジプトにいるなど。
グプタの淡々とした声が電話から聞こえてくる。
『どうしてだい?』
サディクはここで少し驚いた。
「知らねぇのかぃ?今、菊がいねぇって騒ぎになってんだぜぃ」
『・・・成る程、知らないな』
当たり前か、と思う一方でやはり違ったということに落胆を隠せない。
ため息をつこうとしたサディクは聞こえた言葉に一瞬理解が出来なかった。
『心配はいらない』
「・・・てめぇ・・・なんだと・・・?」
こんなに必死に心配している自分を嘲笑うかの様な軽い言葉は、ここのところ少し張り詰めていたサディクの気に障った。
『何故か解るか?』
しかし、この一言でサディクは完璧に冷静になった。
おかしい。
普段のグプタは必要以上にしゃべらない。だが今日は饒舌のように思える。
それに何故かは解らないが少し機嫌が良いようだ。
そして、この挑戦的とも取れる言い様。昔の彼、というのを思い出す。
サディクは直接見たことがあるわけではないが噂にはちらほら聞いていた。
「お前さん、どうしたんでぃ?」
素直に聞いてみると電話越しに含み笑いが聞こえた。やはり機嫌が良いようだ。
『今までの条件から考えてみよ』
今までの条件?
サディクは冷静になった頭で考える、が解りそうもない。
『ヒントをやろう』
見透かしたようにグプタは言う。
『ハロウィーンだから、霊魂が連れて行ったのだ』
サディクとの電話を終えて、グプタの足は一つの部屋へと向かう。
部屋、という定義は可笑しいかもしれない。だが、扉が付いている。
(哲学好きのヘラクレスは、この状況をどう定義するだろうか)
グプタが扉を開けると、そこには菊が居た。
今日は日本のジンジャという所の風景だ。
無限に立ち並んでいるトリイからは神秘的な雰囲気が漂っている。
「グプタ・・・!」
菊はぎゅっとグプタを抱きしめた。
否、抱きしめたというより存在を確かめたと言って良いだろう。
「どこに・・・行ってたんです・・・」
「サディクからの電話だ」
サディク、という単語に菊は激しく反応した。グプタに回された手がガタガタと震えている。顔は蒼白だ。
「外!そ、とは・・・嫌・・・!」
顔を押し付けてくる菊の頭をゆっくり撫でてやると気分が良くなったのか、トリイが消えて桜並木が現れた。
グプタには慣れた事だが、菊は風景の変化に何も疑問を感じていないらしい。
この空間は、言うなれば、菊の精神空間とでも言えるだろうか。その割には二人の肉体はここに存在している。
例えサディクが、菊の居所がグプタの所だと気が付いても、到底見つけることは出来ないだろう。
この部屋の扉に辿り付くまでには、ピラミッドの中の王室さながら、罠で一杯だ。
菊の精神をグプタが形式的に視覚化したものだ。
だからこれはグプタが閉じ込めているのではなく、菊が閉じこもっているのだ。
「外に出ても、良いのだよ」
グプタが言うと菊はぱっと顔を上げ、鬼気迫る表情で叫んだ。
「嫌!外は怖い!嫌!」
周りは真っ暗になってしまった。所々に桜の風景の切れ端が見える。
暗い闇の中でグプタの目が輝いている。
菊の黒い瞳に吸い込まれるように口付けを落として、金の目は菊を離さない。
「良い子だ」
好きなだけここに居なさい、とグプタを放さない菊を抱きしめると二人の姿は更に深い闇に沈んでいった。
Happy Halloween!
(さあ!声を合わせて"Trick or treat!"甘い甘いお菓子を頂戴?)
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菊様がグプタさんを拘束しているようでそうではない。
菊様の家から連れ出したのはグプタさんです☆
彼だったら空間を飛ばすことぐらい平気でやってのけるって信じてる。
それにしてもヨンス書くの楽しすぎるぜぇー!
そしてハロウィーンあんま関係ない!(笑)