菊はこの日になると決して家から出ようとしない。
あの日、病室でアルフレッドと一緒だったことを除けば、この日を菊と一緒に過ごしたものはいない。
追憶は進歩の証拠か否か
菊の家は一部分だけだが忍者屋敷の様な造りになっている。
この日になると菊は誰にも知られていない隠し部屋に篭る。
この部屋は一年を通してこの時にしか使わない。もともとは避難用に造られた隠し部屋だった。
昔の腕の立つ職人のお陰でその部屋には太陽の光が入るようになっている。
朝日から、夕日まで。
部屋の中にあるのは折れた刀が二本。煤と血が付き、所々がほつれた旭日旗。今はもう音の出ないラジオ。それだけである。
その日が近づくにつれ、古傷が痛みを訴えだす。病は気からとはよくいったもので、やはり、というか気にならずにはいられない。火傷の爛れた感じや小さな刀傷までが妙な存在感を放ってくる。もう随分前に傷口は塞がったのに。
その辺りから、菊が部屋に篭り始める。暑く、湿気の多い日本の夏に菊の家に来る物好きはあまりいない。
(あの日も、暑かった)
部屋に篭って、日差しを浴びながら過去へと思いを廻らせる。
(眩しかった。一面、光でいっぱいになって)
普段はこの部屋に仕舞い込み、取り出すのはこの日だけなのに、旭日旗はあの時から朽ちる様子はない。状態の良いままである。
(大和も私より先に逝ってしまった)
何をする訳ではない。旭日旗を胸に抱いて、ただ、ぼうっと昔を思うだけである。視線は畳の上を彷徨ったり、日差しを見つめたり、ラジオを眺めたりするだけである。
(これから、御声が流れてきて)
菊の意識は過去を彷徨っていても、その目を見ることが出来るものがいれば、いつもよりずっと穏やかな目をしていることに気づくだろう。
しかしその胸中は菊にしか、いやきっと菊にも計り知れてないのだろう。
しっかりと存在感を示す二本の折れた刀とラジオの前で旭日旗を抱いて俯く菊の姿は祈りを捧げる様にも、懺悔をしている様にも見えた。
静かに夕日が沈んでいく。
最後の一滴が消えるまで菊が旭日旗を離すことはなかった。
夜の帳が降りていく。
最後に一回、菊は目をぎゅっと瞑った。次に瞼を上げたとき、そこにいたのは他国の云う、いつもの菊だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
果たしてこれは前進か否か。
しかし私には先に散った彼らを切り捨てることは決して出来ず、綺麗な思い出というには痛みが拭い切れず。
ああ、来年もそのまた次の年も、きっと私の生きる限り。