、落つ


本田菊の家は書店を営んでいる。
本田書店。
入り組んだ路地の途中にポツンと立っているのがこの書店であり、隣は空き地という大変寂れた所である。
その寂れた書店に最近現れるようになった小学生がいる。
この年頃には有りがちの話だが、自分だけの秘密基地的なものを求めてこの辺りまで迷い込んで来たようだ。
「別に迷ってこんな所まで来たわけじゃないからな!秘密基地にふさわしい場所をそうさく中に見つけたんだからな!」
と、言っていたので本音はどうあれ秘密基地を探しているのは本当らしい。
少年の名前はギルベルト・バイルシュミットと言うそうだ。

ギルベルトは最近アジトを手に入れた。
学校ではガキ大将ポジションに居る彼が足りないと思っていたもの、それが秘密基地だった。
「いっぴきおおかみのオレ様に必要なもの・・・それはかくれが!」
この発想を思いついた時にギルベルトははっきり言ってオレ様天才!と思った。
衝撃の余り叫んだら弟に変な目で見られた。
兄にはこの御馬鹿さんが、と頭を小突かれた。
次の日からギルベルトは学校が終わると共に一人で普段は目もくれない路地裏という路地裏を冒険し潰した。
その結果見つけたのが本田書店である。
本当はその隣の空き地が目当てだったが、本田書店の店内はひんやりとしていて人気もなく、いつもカウンタに座っている菊は話し相手には最適だった。
なによりギルベルトが大通りの本屋でいつも立ち読みしては怒られていた週刊少年誌も、菊は怒らないで読ませてくれる。
更に、菊はたまにおやつも出してくれる。
兄の甘いお菓子も実は大好きだが、菊のくれる緑茶と和菓子はギルベルトにとって物珍しく、量が少ないのが少々不満だが、お気に入りとなった。

彼、ギルベルト・バイルシュミットが本田書店に通うのは彼が中学・高校と進んでも変わらずに続いていた。
彼が書店に来るのはいつも一人きりで、一方的に学校生活や家での生活の事などを話していく。
菊は長年彼を観察してきたがどうやら彼には友達がいない、もとい少ないらしい。
ガキ大将気質は昔から変わらず、高校生になっても一匹狼の不良をやっているようである。
よく顔やら腕やらに絆創膏を貼っ付けて菊に宿題を教えてくれとせがんで来る。
テスト前や期間中にはカウンタの裏から続く本田家のお茶の間にまで上がって夕飯時まで試験対策をさせられる。
昔と比べて身長も伸びて益々やんちゃになった彼だったが、毎週少年誌を立ち読みするのだけは変わらなかった。

菊はギルベルトのことをいつもバイルシュミット君と呼ぶ。
彼の母国である日本では人を名字で呼ぶのは一般的とされといるらしいが、普段ファミリィ・ネームで呼ばれ慣れていないギルベルトにとってはちょっと大人になったような、よそよそしいような気分だった。
菊は相変わらず利き上手だし、ギルベルトが顔を出すとお茶とお茶菓子を出してくれる。
中学、特に高校に上がってからは勉強が難しくなって菊に教えてもらってばかりだったが、菊はどんなに難しい問題も丁寧に且つ解り易く説明してくれる。
ギルベルトにとって、本田書店に置いてある名講師が書いた参考書よりも菊の解説の方がよっぽど解り易かった。
テスト期間はたまに夕食を出してくれるときもあった。
初めは兄も渋っていたが毎回のこととなると予めギルベルトに菓子折りを持たせるようになった。
しかし、今思い返すと初めてこの本田書店を見つけた時から、恐ろしいことに菊は外見が全くと言って良いほど変わっていない。
不思議に思って年齢を聞いたことがあったが、ちゃんと歳は取っているようだ。
ギルベルトが小学生だったときにはどうやら高校生だったらしいのだが、今もまだ年齢的にはそれ位のように見える。
だが、それを言うと傍目には見えなくても菊は機嫌を損ねるのでギルベルトは余り言わないようにしていた。
育ち盛りの高校男児にとっておやつが無いのはちょっとばかり致命的だ。
初めは解らなかった菊の微妙な表情の変化も今では解るようになったが、菊とこの本田書店の雰囲気だけは昔から変わらない。

ギルベルトにとって喧嘩は日常茶飯事であったが、予想外のことが起こった。
この間制裁を与えてやった奴らはどうやら隣町ではちょっと有名な不良グループだったらしく、帰ろうとした矢先にそのグループの下っ端という数人がギルベルトを取り囲んでニヤニヤ笑いながら言った。
本田菊を、人質に取った。
もちろんそいつらにはお釣りが有り余っていらない位の鉄拳をくれてやり、聞き出した場所にギルベルトは走った。
(菊・・・!)
着いた場所は、今時それは無いだろうというような古い倉庫だった。
人気は無く、不気味に静まっている。
一つ深呼吸をしてからギルベルトは扉を開け放って倉庫中に響く声で叫んだ。

「菊!どこ・・・だ・・・?」

余りに衝撃的な光景過ぎて、気合の入った声は最後には疑問系になってしまった。
「おや、今日は学校が終わるのが早かったんですね」

そこには服の埃をぱたぱたと払う菊が居た。

外傷などは無さそうだが、ギルベルトは気が動転しているのか声が出なかった。
何故なら菊の後ろにはギルベルトが先日お世話をしてやった連中が転がっていたからだ。
これは、つまり。
「バイルシュミット君?」
いや、しかし目の前で手をひらひらさせている人物がこの惨状を作ったとは考え難い。
「き!・・・菊、大丈夫か?」
「ええ」
菊はいつもと一緒だ、唯ここが本田書店ではない、というだけのようだ。
そんな菊の周りの空気に感化されてギルベルトの心も静まってくる。
そこで、ある結論に達した。
(・・・!そうか!通りすがりの善良な誰かが助太刀した後、釣りはいらないぜ・・・的な・・・)
「・・・!ギル!」

「・・・は?」

初めギルベルトは誰に呼ばれたのか解らなかった。
気付いた時には目の前に菊の姿は無く、後ろから不良の残党の呻き声が今まさに途絶えたところだった。
振り返ったところでギルベルトは先程の結論が間違っていたと、嫌と云うほど知ることになる。
そこには、綺麗に型を決めた形の菊の後ろ姿があった。
「最近は物騒ですね・・・高校生が刃物とは」
一度回転し始めたギルベルトの頭は止まらなかった。
つまり、菊は刃物を持った相手に臆することなく向かっていったことになる。
「・・・なんでだ?」
独り言のつもりで呟いた一言も、倉庫の中では反響して聞こえる。
こちらを振り返った菊は倉庫の入り口から漏れる光を浴びて神々しくさえ見える。
「もう大丈夫ですよ」
「・・・武道でも、やってたのか・・・?」
菊はギルベルトの問いに逡巡して、口を開いた。
「ええ、・・・私マフィアですから」

菊は自分が捕まった原因はそこにあると思っていたらしいが、周囲の会話を聞いてどうやら、自分の方ではなくギルベルトの方の厄介ごとだったと気付いたらしい。
ギルベルトが傷つく姿も見たくなかったし、早く片付けてしまえば適当に誤魔化せるだろうと思ったようだ。
「・・・以上です」
「・・・はぁ・・・」
話の内容はギルベルトの許容範囲をとっくに超えている。
あれだけ回転していた頭も今は全く働いていないようだ。
「・・・出ましょう」

夕日でキラキラ輝く川を横目に、菊とギルベルトはぼそぼそと話しながら帰路に着いた。
「怒らないんですか?」
「・・・なんでオレが怒んなきゃなんないんだよ」
ギルベルトがむすっとしたように云うと菊は倉庫を出てから初めて笑った。
「いいえ、・・・ごめんなさい」
「・・・だから、なんでお前が謝るんだよ」
ギルベルトからして見れば、本屋なんぞを営んでいる点からして菊を軟弱者と決め付けたのが間違っていた。
心境は、この子、いつのまに大きくなっちゃって・・・状態である。
菊が無事で良かったと思う反面、守ってやらねばと思っていた相手に救われた訳である。
聞けば、菊の所属する中華系マフィアは随分有名なもので、ドンは菊の義兄だという。
その他の幹部も菊の義兄弟で形成されているらしく、本田書店も表向きのものでしか過ぎないらしい。
ギルベルトは足を止めた。
どうしても菊に言わなければ言わないことがあった。
「菊」
夕日を浴びても黒い菊の髪がふわりと舞う。
「オレは、お前がマフィアとか、そんなことはどうでも良い・・・いや、良くないかもしれないけど!・・・でもよ」
菊から見たギルベルトも目は夕日を浴びても赤く、鋭い。
「明日の茶菓子は苺大福が良い」
いつも、はっきりとしか物言わない彼にしては珍しい言い回しに菊は目を見開いた。
常人には少しの違いも見つけられないであろうそれに、ギルベルトは気付くことが出来る。
「・・・ええ」
赤い目をした寂しがり屋の彼は、まだ自分を離してくれそうにないと菊は悟った。
慈愛の篭った菊の微笑みに、ギルベルトは今が夕方で良かったと思った。

明日もきっと客の来ない本田書店にはいつもと変わらない光景が待っている。
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待つのは、現実。

なぜかパラレル
いや、こんな設定パラレルじゃないと出来ないけどwww





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