皮肉にもアーサー・カークランドがその事に気が付いたのは最悪のタイミングと言っても過言ではなかった。しかし、それは菊にとっては十分過ぎる、寧ろ遅すぎて滑稽である様な瞬間であった。


なかなか尻尾を出さない相手方にネクタイを緩める暇もない苛々した日々をアーサーは送っていた。今度の相手はなかなかに賢い。表立って敵であるとは公言していないので手を出そうにも出せない。お互いに裏を読みつつ硬直した状態が続いている。
どちらかと言えば行動派なアーサーはそろそろ暴れたくてうずうずしていた。
弟のアルフレッドなんかは理由なんか適当にでっちあげて潰してしまおうと言っては騒いでいる。
アーサーもそうしたいのは山々なのだが、如何せん証拠が足りなさ過ぎる。
今日の会議もたいした結果も挙げられずに終わってしまった。

家には真っ直ぐに帰らず、アーサーは人気の無いような路地裏のある方向へ向かっていく。
最近は自身に溜め込んだ苛々を発散させるために暴力という行為にも出てしまっていた。
行き過ぎたことだと解っていても少しでもストレスを発散させたくて気が付くと足を向けている自分が居た。
いくら都市化が進んだとはいえ少し裏に入り込めば中心街だってそういう輩はいる。
アーサーがやるのはひ弱な人間を寄ってたかって集団で暴行をする奴ら。
そうすれば己の暴力は多少正当化され、自分の表立った地位に傷をつけることはなく、むしろプラス要素として数えられる。
アーサー・カークランドは弱きを助け、悪を憎む人物である、と。
知らず自分の中の血が騒ぐのをアーサーは感じていた。
反して、意識はすうっと冷えていく。
(狩の時間だ)

暫く歩くと前方から複数の足音が聞こえてきた。
壁に反響して様々な音が聞こえてくる。
どうやら誰かを追いかけているらしい。喧騒が自分の方向に向かってくる。
(・・・来た)
角を曲がって飛び出してきたのは、背の低い黒髪の人物だった。
「・・・っ!」
その人物はアーサーを見ると一瞬怯えたような顔をした。
だが、アーサーからのただならぬオーラに気付いたのだろう。
次の瞬間にはアーサーに縋り付く様な目で訴えてきた。
「助けて下さい・・・!追われて、いるんです!」
たどたどしい英語で話す人物は意外にも男性のようだ。
少し高いテノールを聞きながらその人物を安心させるように、にこりと一度笑いかけて少年を後ろに庇う。
少年を追いかけて角を曲がって来た連中を見て言いようのない興奮が湧き上がってくる。
アーサーは善良な人間を装って声を出した。
「お前ら何やってんだ」

「有難う、ございました」
事はものの数分で片付いた。
「いや、怪我が無くて良かった」
アーサーは完璧な紳士を装ってみせる。自分に感謝と尊敬の眼差しを向けられるのはいつだって快感だ。
念のため助けた少年に住んでいる場所を聞いてみるとここからそう遠くないアパートだった。駅からの帰り道で追われたようだ。
明日の早朝から会議が入っているのを思い出したアーサーは今日の所はこれで帰ろうと思い、ついでにこの少年を送っていくことを提案した。
少年は先程がこともあったせいか、その提案を望んで承諾した。

どことなく西洋人と違うような感じを受けていたアーサーは、少年が東洋人で郊外の大学に通う大学生だと知った。
少年は本田菊と名乗った。
アーサーはまず、菊が大学生だということに驚いた。口には出さなかったがジュニア・スクールに通っているのだろうと思っていたからだ。
アーサーと同じ側にいる人物に王耀という中国人がいて、彼もそうとうな童顔だと思っていたのだが、東洋系は皆この様である。
まだ英語に慣れない事や、その所為でなかなか友達が出来ないこと等様々なことを話しながらゆったりした時間をアーサーと菊は過ごした。
菊が住んでいるアパートの前まで来ると菊はぺこりと頭を下げた。
急に頭を下げられて驚いたアーサーに、菊はこれは彼の祖国の礼儀作法でオジギと云うのだと教えてくれた。
「先程は、有難うございました・・・それで、あの・・・」
そこまで言って、菊は何やら葛藤しているようだった。
だが、勢い良く顔を上げたかと思うとアーサーにとって驚くことを言ってのけた。
「後日、お礼・・・をしたい、ので!あの・・・お住まい、は?」
顔を真っ赤にしておどおどとし始めた菊にアーサーは苦笑をすると自分の携帯番号と住所を書いて渡すと、ひとつ重要なことを言った。
「住所の場所が解らなかったら直ぐ連絡しろ。後、昼間に来いよ」
また襲われるぞ、と悪戯っぽく言ったアーサーに菊は黒い目を真ん丸にして、次いで照れたように笑った。

菊がアーサーの家にお礼に来た後も、二人の交友関係は続いていた。
アーサーは菊に英語を教えたり、菊は彼の祖国であるニホンについて色々と教えてくれたりした。
先日までの苛々がどんどんと解消されていることにアーサーは驚いていた。
菊は感情を表に出すのが苦手の様だが、彼の瞳からはいつだって穏やかで暖かい感情が伝わってくる。菊の国の諺でメハクチホドニ、とか言うらしい。
急に現れた自身の癒しの空間に、アーサーは今では路地裏に足を向けないほどに満足していた。

しかし、その穏やかな日々は急に終わりを告げた。
ずっと続いていた硬直状態が突然破られた。
この間の会議で決められた超重要事項が相手側に漏れていたからである。
自宅で忙しく鳴る電話の対応に追われながら、アーサーが一息ついた時に彼は唐突に背後に現れた気配に背中が粟立つのが解った。
「・・・!」
ホルスターから抜いた銃を向けた先に居たのはアーサーにとっては意外な人物だった。
そこに居たのは、菊だった。
真っ黒な、変な衣装と頭巾と口布をしている。
意外すぎる展開にアーサーの脳が追いつかない。
菊は銃を向けられているにも関わらず、ゆっくりと口布をずらした。
その動作にアーサーは場違いにも妖艶だと思った。
冷え切った両眼がアーサーを射抜く。
「あなたの家のセキュリティ、見直した方が良いですよ」
これ程簡単とは・・・、と呆れる菊にアーサーははっとして銃を握りなおした。
「お・・・前!」
「私ですか?」
本田ですよ、とからかって見せる横を一発の弾丸が通り過ぎる。サイレンサ付きの銃からはパスンと間抜けな音が出るだけで、菊は顔色一つ変えない。
「お前が・・・!」
怒りと衝撃と悲しみで震えるアーサーを見た菊は、冷え切っていた目を更に凍らせた。
ぞっとする殺気に、気付くとアーサーの手から拳銃は遠く離れた所に落ちていた。
「童っぱが」
いつの間にか目の前まで来ていた菊の手には短刀が握られている。
慌てて距離を取るアーサーをつまらなさそうに眺めて、菊は窓の方に跳躍する。
「震えるならば、銃など持つな」
アーサーは、ここで漸く菊が流暢な英語を話していることに気付いた。
「つまりは・・・初めから、」
嘘。
愕然とするアーサーに、手にした重要書類をひらりと見せ付けて、菊は三階の窓から夜の闇へと消えていった。

「さようなら、良い夢を」

敵側の制服に身を包んだ菊と対面している今も、あの夜の菊が言った最後の言葉がアーサーの耳から離れない。


震えるならばなど持つな
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やっぱりFU☆BI☆N!




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