開け放たれた窓から、静かな波音が聞こえる。
ギリシャは黒く染まった夜の海を思い描いた。
寄せては返す波はさながら墨のようだ。
(もしかしたら、夜の海は墨で出来ているのかもしれない)
そうなら、夜の海に白い服を着ていくのは危険である、と思ってギリシャは少し愉快な気分になった。
大切な告白やプロポーズも夜の海水が万が一相手に付いてしまったら台無しだ。
そうならない為にも、夜に汲んだ海水を次の日の朝に見れば謎は解けるかもしれない。
(でも、光に当たったら透明になる液体かもしれない)
そうなってしまうと証明はできないが、同時にそれは墨ではなくなる。
よって、夜の海は墨で出来ているという仮定とは反することになるため不適である。
それに、もしその様な性質を持った液体ならば汚れた白い服も光に当てればまた白く戻るので問題はなくなる。
結局、この問題は夜の海水を暗室で成分分析すれば解ることである。

(・・・駄目か)
考察の糸が一旦切れたことでふぅっと一息吐き出し、ギリシャはソファに深く寄りかかった。
面白い思い付きだったのに、と首を上に傾けると見上げた天井の蛍光灯がジジっと音を立てている。
開けた窓から入って来たのだろうか、羽虫が蛍光灯を突くように飛んでいる。
弾かれてはまた光を求めて集まっていく。
(墨を)
ギリシャの思考は再び海へと傾いていた。
(夜の海に墨を流したら)
いつもは眠そうな目をしっかりと開いて真剣な眼差しを天井に向ける。
その目に虫はただただ映るだけである。
暫くその体勢で動かなかったギリシャは、先程のように詰めていた息を吐き出した。
(・・・やめよう)
またぼんやりとした目に戻ったギリシャは漸く蛍光灯に集まる虫に気が付いた。


(この思いを夜の海に墨で書いて流したならば君の元に届くだろうか)
(それとも君に気付かれないように夜の海を渡って行こうか)

(嗚呼、この思いは君に気付かれないように海を漂っている)
04 夜漕
(夜を漕ぐ)