その差、約7時間。
日本とギリシャの時差である。
物理的に日本は遠い。いや、非物理的にも様々な点で遠いと感じるのだが。
(物理的にも、だな・・・)
こうして思考に耽っている時にも、刻一刻と日本は夜明けに近づいている。
例えば、急に日本に会いたいと思ったとする。
しかし、会いに行こうと行動しても10時間は飛行機の中に鮨詰めにされたままだ。
ギリシャからは直行便が出ていない。
もし、トルコが自分よりも先に飛行機に乗って日本に会いに行こうとしていたら、確実に自分よりも先に着いてしまう。
(・・・そんなの、嫌だ)
エジプト辺りに言えば空間を超える事など、造作も無いことが出来ないのか?と云われそうである。
だが、残念ながらギリシャにはその構造は理解できそうに無い。
彼の考えることは簡単で難しいことばかりだ。
日本の迷惑も考えずに、会いに行ってしまおうか。
子供の様な考えが浮かぶ。
そう考えると何故か暖かな気持ちになるのを抑えられない。
例え、真夜中に訪問しても彼は完璧にギリシャを持て成すだろう。
こんなに自分を悩ませているのだ、少しぐらい困らせたって良いのではないだろうか。
この高揚感は、かくれんぼで隠れているものを見つけて背後から忍び寄る鬼の気分に似ている。
しかし、その思いも穴の開いた風船のように萎んでいくことをギリシャは知っていた。
日本では7月7日にタナバタという行事があるという。
何でも、年に一度、恋人同士で会える日らしい。
ミルキィ・ロードを渡って、愛しい人に会いに行く。
(エジプトに、弟子入りしようか・・・)
結局、時間ばかりはどうにも出来ない。
このまま速く朝になって欲しいと思うが、それは同時に日本もそれだけ速く次の夜に向かうということだ。
自分だけがミルキィ・ロードを駆けて、日本に会いに行くという幻想。
今ここから駆け出したら夜の日本に着けるかも知れない、という考えにギリシャはエジプトの言う空間を渡る方法の断片を見たような気がした。
06 夜走
(夜を走る)